埼玉支部の新井です。今日は古民家がどういう考えで建てられているのかという事についてやって行きたいと思います。
昔の日本家屋の屋根というものは屋根が大きく、縁側よりもさらに外に張り出す様に大きい。まるで家を守る傘にも思える大きさでしょう。
また、そんな屋根であるからこそ、室内は薄暗く濃淡のある空間となっていて涼しく過ごせるように作られています。
そう、昔の日本家屋は夏に涼しく過ごせるように作られていました。代わりに冬は物凄く寒いのですが、冬は服を着込みながら囲炉裏で暖もとれるからという考え方だったようです。
実際古民家は隙間も多くてすきま風も結構凄くて冬は寒い。ただ夏はクーラーどころか扇風機もあまり使わなくても平気なくらいでした。
ちなみに古民家は、夏の高い太陽の日射しをその屋根で防ぎ、また冬の低い位置の太陽の日射しは多く取り入れられるような造りにもなっていたりします。
こういった夏と冬の考え方は徒然草の一文にもあり、「住まいを建てるなら夏を考えて造り、冬は住もうと思えばどこでも住めるが夏暑いのは耐えられない」という意味の一文がある様に、昔の人は今の高断熱高気密とは違う考えで家を建てていた事がわかります。
そして昔の住宅建築は地域の公共工事であり、建築工事は「普請(ふしん)」と呼ばれ、「結(ゆい)」という地域扶助の精神で建てられていました。
普請とは安普請の語源にもなっていて、 その意味は広く平等に資金・労力の提供を奉仕することであり、地域基盤を地域住民で作り維持していくことで近代まで住宅建築は地域の公共工事であり、それを支えるのが地域扶助の精神であった。
すなわち地域の助け合いで家を建てたり、壊れたら直したりと、地域の繋がりの強さを物語るものだと感じられるでしょう。
この地域扶助の考え方を「結(ゆい)」あるいは「もやい」と呼ばれ、小さな集落では無償で手間と材料を出し住民総出で共同作業を行う相互扶助の精神である。
お金を貰わない代わりに、皆で家を建てて、そして誰かが家を建てる時もその繰り返しで、日本人の助け合いの精神が根強いのもこういった習慣、あるいは習わしの名残なのかもしれません。今でも一部の地域では田植えや茅葺き屋根の取り替えでも行われているようです。
しかし今の日本住宅は機能的で性能的にも世界でも高い水準です。寒い地方や暑い地方で今更古民家にそのまま住みましょうとは言えません、実際寒い上に、夏は昔よりもかなり暑いですので。それでも昔の人はこう考えて家を建てていた事を知れば、自分が家を建てる時の参考にもなるでしょう。実際、最近は家の屋根を大きくしている家も多くなっているそうです。
本日はここまでにしましょう。次回は古民家を何故後世に残すのか、そして伝統工法と在来工法のメリットとデメリットについて勉強したいと思います。では、また次回をお楽しみに。